稲妻のように

 スーパーサンダース!スーパーサンダース!!スーパーサンダース!!!(挨拶)
 4、6、7、8、9、13、14あたりがいい感じです。聴く人を選ぶ感じがしますが。もう今月はスーパーサンダースの月に決定。

 山口県の学校で爆発物ぶちかましたという事件がありました。マスコミ発表では50人以上が負傷となっていますが、実際はけが人は十数人、50人という数は病院に行った人の数だそうな。
 衝撃で脳震盪となったら負傷になると思いますが、めまい程度だったら負傷にはならないと思います。まあ誇張報道ですな。死ぬ人がなくて良かったです。
 それはともかく、こういう事件がおきる土壌が学校という閉鎖空間の中にあること、そちらの方が問題だと思います。おそらく「知識人」がしたり顔でいろいろコメントすると思います。
 ただ、それらの9割以上は空疎なものだと私は予想します。今までの少年犯罪に際し聞いたようなことばかりだと思います。
 私は、このような極端な行動、そのことが実はその人にとって精一杯の表現行動だと思います。そして、追い詰められた人の行動は極端になりがちです。
 この犯人(容疑者と言うべき?)はそうせざるを得ないほど追い詰められていた、とおもいます。学校と言う場所で起きる、人を追い詰めるようなことなんてそんなにありません。学校は基本的に擬似社会です。だいぶん大人の社会とは違いますが、それでも学校にいる人にとって絶対的な現実として存在しています。
 では、現実に絶望するほど追い詰められた人はどのような行動を取るのでしょう。当然多くの選択肢がありますが、何を選択するかはその人の自由です。ここから先は個人の問題。
 それよりも重要なことは「追い詰められる人」をつくらないことです。追い詰めない為には、逃げ道を作ることが必要です。ここからが厄介なのですが、思考が煮詰まってくると、余裕が無くなり視野が狭くなります。なので逃げ道に気付かないことも多くなります。よって周囲の環境が多くの逃げ道を作る必要があります。これに失敗した時、人はほぼ自動的に追い詰められることになります。
 個人の問題と言う人もいるかもしれません。ですが私は個人と周囲とがうまくかみ合わなかった時に問題が生じると思います。その両者の摩擦を解消できる人がいればいいのですが。
 問題の原因を解決することが必要なのですが、構造的に生じる問題と言うものもあります。その場合は対処療法でやっていくしかありません。なんといっても人間のやることなので多少の歪みは生じます。下手に歪みをなおすと、より大きな歪みができることすらあります。打つ手が無いからと言って問題を放置するわけにはいきません。何が本当に必要かということを考えて行動する必要があります。