適度適当で

 ひたすら雑記。そんな気分。つねに雑記という突っ込みはなしの方向で。

 最近はブログ利用者が三百何十万人もいるそうです(総務省調べ)。数が増える中、ブログの情報でストーカーになる人もいるそうで。いくらネットが匿名だ、といっても使う人しだい。個人情報記入の必要が無い、というだけのことで自分から言ってしまったらそれでアウト。新聞では記名記事にするようになっていますけど、数年前までは無記名でした。ですが、記名は本当に必要でしょうか?もちろん、誰による記事ということがわかるということは記事に対する信用が増します。しかし、記名であろうが無かろうが信用すること自体は自分で決めることのはずです。
 たとえば、数年前にあった石器発掘捏造を見抜けずに記事にした新聞があります。これはまあ、実際はそういった発掘作業について調べていればこの発掘物発見は非常に怪しいものであったことがわかったはずです*1

 この遺跡云々は全面的に記者が悪いともいえない気がします。同情半分ですが。それではもうひとつの例を。
 あるところに干拓事業がありました。その事業の案件は数年間審議されており、とうとう決行となりました。しかし、とある新聞がその事業に対し、「反対すべきだ」といいました。テレビのニュースでも盛んに報道されました。それでもやはり事業は決行されます。そこには珍しい魚もいます。干潟というところは結構な数の生き物が棲んでいます。それでも堤防の堰が切られることはありません。その翌年、その付近ではある海藻の育ちが悪いとやはり盛んに報道されました。それでも堤防の堰が切られることはありません。九州のとある湾でそういうことがありました。
 これはどう感じるでしょう。私としては、いまさら干拓は必要ないとおもいます。そもそもの事業目的が農地の拡大だったそうです。自然保護の観点からすれば言語道断です。干潟や湿地は豊かであり独自の生態系が育まれます。生態系の保護の観点からすると、たとえ人間に害のある生物でも絶滅危惧種であっても保護すべきとなります。人間が滅ぼした種がかなりありますのでその贖罪も含めてでしょう。そのことはまた別の話。
 
 それではこの新聞はなぜこの干拓事業を記事にしなかったのでしょうか。決定がなされる前に。販売戦略ももちろんあるでしょう。この事業案件自体は昭和50年代に成立したと聞いていますので時流に合わないというのも理由のひとつでしょう。ただ、自然保護という言葉は一般化していますので引き返せるうちにキャンペーンを打つことも出来たはずです。売上が重要なのは分かります。民主主義における手続きの正確さも重要です。とは言ってもこのような報道の仕方はあまりにもあざとすぎる、とおもいます。

*1:10年間発掘作業を続けても見つからないことも多いそうです